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2013年5月26日日曜日

『ここが大阪なら、きみは薙沢』について

 先週「同人誌にする」とお伝えした短編(第4回創元SF短編賞第1次選考通過作)について、少し。

 この小説は、私が十年以上前から書き続けている『鉄腕ガール、一撃』(元々は『NOISE』)という作品の設定を使い回して短編に仕上げたものです。
 簡単に作品を説明すると「超能力者や過剰装備の警察官やら異世界人やらがドンパチする話」。下手すりゃ軍隊も出張ってくる。
 何年も書き続けているだけあって、思い入れと登場キャラと設定だけは膨大にあります。
 だから「短編ではこの魅力は伝わらない。大長編を書きたいんだ」と思っていたのですが……書けましたね、原稿用紙100枚以下で。
 やればできるじゃん。

 ただこのシリーズ(?)、ライトノベルの新人賞ではすこぶる不評でした。
 どこの新人賞に送っても一次落ち。
 応募作に必ず評価を返してくれる新人賞では酷評ばかり。
 もちろん本人は自信満々で応募しているので、精神はズタボロに……。
 だからまあ、創元SF短編賞の第1次選考を通過しただけでも、すごく嬉しかった。

 しかしさっきも書いたように、この作品には設定ばかりが膨大にあります。
 「世界設定を羅列しただけで原稿用紙100枚が埋まる」という、まあ駄作以外の何物も生み出す予定のない妄想の塊。
 思い切って説明をバッサリ切り落として、小さなエピソードを綴ったものが『ここが大阪なら、きみは薙沢』です。

 薙沢っていうのは本編の主人公(女)のパートナー(男)の名前。
 彼が本編の主人公に出会う前のエピソードなので、もちろん主人公は別のキャラに。
 この別のキャラってのが本編では脇役なんですが、やはり設定だけが膨大にあり、書こうと思えばいくらでも話が書ける。
 面白いかどうかは別にしてね。

 そんな作品なので、この短編だけ読むと「完結してへんやん」と感じるかも。
 申し訳ない。
 でも、もちろん短編としては完結しているので、消化不良感はない……と思います。

 今、とある方にイラストを描いてもらっている最中です。
 「女の子が可愛くなるといいなー」と気楽に考えているんですが、三白眼のヒロインはやっぱ駄目っすかね?
 駄目っすか。
 すみません。
 私の作品ではスタンダードなキャラ設定なんですよ、三白眼。

 ダラダラ書きましたが、同人化は着々と進んでますので、ぜひ同人誌即売会で買って逢坂総司くんと握手して下さい。
 よろしくお願いします。

2013年5月20日月曜日

第4回創元SF短編賞の落選作を同人誌にします。

 サークル・本屋Booksから同人小説出します。
 同人にするのは、第一次選考を通過した『ここが大阪なら、きみは薙沢』の一作だけ。
 同時に応募していた他4本も同人誌にして出そうかなと思ったんだけど、選考で落ちたってことは客観的に見て「駄作だな」と判断されたのでしょう。
 なので、選考を通過した一作だけ。

 主人公の平顕子は、時間をスキップしながら生きている。
 昨日は十八歳、今日は三十歳、明日は二十四歳……。
 そんな彼女に訪れた転機は、大阪府警警備部特武隊に所属する薙沢敬志との出会い。
 彼は平顕子の時間スキップを止めると言うが……。
 この作品、タイトル通り『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』のオマージュです。
 ラノベ風にしてみただけ。

 はい、ここで重要なのは、タイトルからして、主人公の平顕子は薙沢敬志と結ばれないってことだね!
 タイトルで恋愛の結末がばれるって、どうよ? ひどい話だよ。

 ちょこちょこと進行しております。
 また詳しくは、このブログとサークルのサイト(https://sites.google.com/site/circlebsbs/)で情報公開していきますね。
 よろしくです。

2013年5月9日木曜日

押井守監督とガルパンと現実と虚構

 最初にことわっておくけど、例のブロマガを読んだ僕の『妄想』ね。

 さてさて。
 押井監督的には「『ガールズ&パンツァー』が受け入れられた理由が解らない」らしい。
 意外だ。
 で、小一時間ほど考えてみた。

 多分、押井監督は現実と虚構の区別が『つきすぎている』のだと思う。
 監督は作り手側なのだから当たり前だろうけど(もちろん、ガルパンスタッフだって現実と虚構の区別がついていない訳ではない)。
 もしガルパンに登場する戦車が虚構の物だった場合、ファンに受け入れられた理由もあっさり理解されたと思う(「ああ、『けいおん!』の戦車版ね」で終わったはずだ)。

 しかし視聴者は違う。
 アニメファンの中にある『現実と虚構の垣根』は、恐ろしいぐらいに低くなっている。
 もはや「アニメの中で走り回っている戦車が実在する物だろうがファンタジー的の物だろうが、どっちでもいい」んだ。
 最終話でポルシェ・ティーガーが黒森峰の前に立ち塞がった時、何人のファンが「ポルシェ・ティーガーの勇姿」に感動したか?
 多分、ほとんどの視聴者は、あそこで立ち塞がった戦車が別の車輌だったとしても、反応に大した違いはなかったと思う。

 作り手側は『現実と虚構』を意識するだろうけど、見る側は、かなりどーでもよくなってる。
 「現実の戦争でもキャラクター性は存在する」と押井監督自ら仰っている訳で、実在する兵器にだってキャラクター性はあるのだし。
 ガルパンはそれと女の子とスポ根をうまく混ぜた。
 これからは、アニメ企画を通す側の人たちの考え方も変わってくると思う。

 以上。
 僕が小一時間で考えられるのはこの程度。

 ああ、ガルパンの企画書、読んでみたいなぁ。

■追記
 押井監督の気持ちがわからない人は「『けいおん!』で放課後ティータイムが、実在するバンドの歌を演奏してもウケただろうか」と考えてみるといい。
 あと、ある程度古いアニメを知っている人は、アニメってのは「虚構の世界で虚構のキャラが虚構のアイテムを使って虚構を演じる物」が大半を占めていたことを思い出そう。