Flicker

2015年11月19日木曜日

映画〈harmony/〉を観てきた感想

 僕は、伊藤計劃さんの小説『ハーモニー』が好きだ。
 それを原作としている、映画〈harmony/〉も好きだ。
 愛してる。

 この文章でストーリーを紹介する気は、ほとんどない。
 設定説明もほとんどしない。
 小説を愛する者であり、アニメを愛する者として、なにかネット上に書かなきゃいけないのではないかと思って、書く。
 そういう文章。

■でも、まずはざっくりとストーリーを説明。
 かつて、非常に強いカリスマ性を持つ少女・ミァハがいた。
 WHOで働く女性・トァンは、学生の時にミァハと自殺を図ったものの、失敗した生き残りだ。
 トァンが久し振りに日本に帰国した時、友人のキアンに会う。
 キアンもまた、かつてはミァハのカリスマ性に影響を受けていた女性だ。
 しかし、実はキアンは、トァンの自殺を止めさせ、彼女を助けようとしていたことを告白する。
 そんなキアンが、トァンの前で思わぬ行動を取る。
 ナイフを首に突き立てて、自殺。
 この瞬間、世界中で数千人の人間が自殺を試みていた。
 この『事件』に、死んだはずのミァハが関わっていると直感したトァンは、ミァハの亡霊を追い始める。


■ミァハとトァンとキアンの関係。
 さて。話のとっかかりとして、自殺のシーンを話題にしたい。
 主人公であるトァンは、キアンの自殺がショックだった。
 古くからの友人が、目の前で自ら命を絶った衝撃。
 でも、トァンにとっては、もう一つ重要な意味があった。あったはずだ。
 キアンは、ミァハの支配下になかった。学生時代の頃から。最初から。
 それなのに、まるでミァハのあとを追うように自殺した。
 では、かつて徹底的にミァハの支配下にあり、今も精神的影響を受けている自分が生きている理由はなんなのか?
 だから、キアンが死の間際に遺した言葉が、トァンに重くのしかかる。
「ごめんね、ミァハ」

 ちなみにこのセリフ、原作では「うん、ごめんね、ミァハ」となっている。
 これは、ミァハを全面肯定する言葉であり、「自身がミァハの支配下にある者だ」と認める言葉だ。だから「うん」を削ったのはいかがなものか、と今はまだ思っている(映画のラストを考慮するなら、抜いたのが正しい気もする。いずれ考えが変わるかもしれない)。
 映画はトァンとミァハの関係に大きく的を絞っていた。
 だから、トァンがだれだけミァハの『近くにいる』のか、『支配下にある』のかが重要だ。


■デザインの話。
 映画版のWatch Meは、左の鎖骨あたりに、外から見える形で埋め込まれている。
 これは差し込み口になっていて、ここにスティック状の機械を差し込むことで、メディケアで作られる医療分子と呼ばれる薬を注入できるようだ(掻き毟りたくなること請け合いだ!)。
 そのWatch Meの上――首筋には、Watch Meを入れている証としてだろうか、赤い十字架が描かれている。
 このデザイン、すごくいい。
 明らかに『マーキング』だし、銃のスコープで照準を合わせているようにも見えるし、吸血鬼の噛み痕のようにも感じる。
 このWatch Meがミァハに握られ、何十億という人間が彼女の支配下に置かれる。
 人々は生殺与奪権を完全に握られるのだ。
 そんな記号として、Watch Meに赤い十字のマークを選んだのは、すごく綺麗だと思う。

 そんな風に、映画『ハーモニー』はデザインが美しい。
 きちんと作品の内容に沿うように、細かく設定を作ったのだろう。
 ピンク色に染まった日本の街(キモイ。絶対に息苦しさを感じる)。
 目に直接映し出される映像(店を見やっただけでメニューが表示される上、「お前もっと糖分取れよ」とかメッセージが出る)。
 ……主人公たちに共感することは、それほど難しくない。
 だって、あんな世界に住みたくない。
 あの世界に住むぐらいなら、石碑のある世界を選びたい。 
 時々挿入される『真っ白な石碑』の、無機質で美しい、神々しさ。
 魅力的だ。
 あのiPodとWiiリモコンを悪魔合体したみたいな姿の機械は、うちに一基欲しい。
 キャラグッズ作って欲しいな。スイッチ入れると1.5秒間隔ぐらいで「チーン」って音がするの。それだけでいい(etmlが流れたら一番いいけど)。
 売れると思うのだが。


■3DCGアニメのカメラワークについて。
 日本アニメに、本格的に3DCGアニメが導入された時に結構問題になったのが、カメラワークだった。
『FREEDOM』の時だったと思うが、CGのスタッフはとにかくカメラを動かしたがる。
「このモデルは上手く作れたから、いろんな部分を撮りたい」という風に、カメラをグルグル回してしまう(僕も今も、MMDで初音ミクのPVを撮って遊んでいると、同じ過ちを犯している)。
 カメラをぐるぐる回すことのなにが問題かって、演出意図を無視してることが問題なのだ。
『ハーモニー』の、レストランでのカメラワークは、びっくりした。
 最初は「無意味に回しやがって……」ぐらい思っていたのに、どんどん引き込まれた。
 自殺してしまったキアン視点でのレストランでは、彼女にミァハが語りかけているので、カメラが回る効果は特に高いと感じた。
 だって、カメラが止まると不安になる。
 動かし続けて欲しいとすら思った。
 だって、カメラが止まったり、動く方向が切り替わったら、ミァハが出てくるんだもん!
 僕は、映画のPVでミァハ役の上田麗奈さんの声を聴いた時「こりゃねえわ。イメージと違いすぎる」と思ってたけど、レストランの「善の話」をしている間に変わった。
 あれはハマり過ぎで怖い!
「この女、絶対に頭がおかしい!」と思わせる声と演技だ。


■光の話
 印象的に光が使われていた。
 記憶の中の校舎。
 長い廊下の照明。
 登場人物が移動すると、きちんと光の影響を受ける。
 それらの映像は、浮いている感じがしなかった。
 今までにも、綺麗な光を描いたアニメ作品はあった。
 僕はそのほとんどを「浮いている」と感じた。
 理由はわからない。
 他のシーンから「浮いている」のか、CGの光が手描きアニメから「浮いている」のか。
 そう言えば、『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は違和感を覚えなかった。
 あれは2000年の作品なのに、なぜそのあとに作られた作品群の方が違和感バリバリなのだろう。
 やっぱり科学技術力よりテクニックの問題なのか……。


■最後に、かなりどーでもいいこと。
 なぜテーマソングを歌っているのが初音ミクじゃないんですかね?
 もちろん、EGOISTの「Ghost of a smile」はすごくよかった。
 ちゃんと買ったよ。
 今、iTunes開いたら、113回再生してる。
 でも、この曲を作ったryo(supercell)さんが初音ミクに歌わせていたら、もっと独特な曲になったと思うんだ。
 人間の魂のなくなった世界で、魂を持たない初音ミクが、人間に「謝るよ」「仲直りがしたいんだ」って、まるで魂を持っているかのように歌ってることを想像したら、楽しいじゃん!(同意を求めています)
 映画自体がフィクションと現実の垣根をズブズブと浸食するような作りになっていたんだから、存在自体が第四の壁を破っているミクさんを起用するべきじゃないかな。
 あと、アラン・チューリングが主役の映画『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』の主題歌も初音ミクにするべきなんじゃないですかね。