※一応ネタバレがあるので、嫌な人はお帰り下さい。
さて、観てきた。
エンドテロップか流れている間ずっと思っていたのは、「ヤバイ……意味が解らない……」だった。
アニメオタクの端くれとして情けない限りなのだけれど、本当に解らなかった。
またしても「10年」の物語だったことは、わかる。
辛い冬も10年耐えれば春が来るだろう。
あとにして思えば、逃げ出したあと、あの山での会話が、僕の中における『かぐや姫の物語』の映画的クライマックスだった。
あとは余韻である。
ラストシーンが近くなってくると、もうこちらもまな板に載った鯉のように覚悟が出来てきたからか、退屈であることがこの映画の主題であるように思えてきた。
耐える日々の後、 春も訪れる。
懐かしい人との、ひとときの逢瀬――あれが春だろう。
短い春だった。
「死を知り、死の影に追われて逃げている間こそが『人生』」なのかもししれない。
そして天人のお迎えが来る訳だが――
「天人の方が楽しそうじゃん!」
なんというショック。
すべてを忘れてしまう向こう側の方が楽しそう!
かぐや姫の“春”すら短く刹那的に描いたのに――
あのラストシーンを見ると、全体が恐ろしく退屈な映画だったことも許せる気がしてくる。
人生とは退屈なものだし、劇的なことなんて滅多に起こらないし、でもあとになったらそんなことが幸せだったと気づくものだし。
と、許せる気がしたのだが――
かぐや姫が最後に、あんなに感情たっぷりに振り向いた理由が解らない。
わからん。
彼女は嫁いだ訳であり、死んだ訳であり、感情がなくなった訳であり――
振り向かせてはいけないんではないか?
子供向けではない。
大人向けでもない。
オタク向けでもない(作画マニアや演出マニアは除く。そんなに数いないし)。
誰だ。
誰に向けて作ったんだろう。
とりあえずiTunesで『天人の音楽』を買いました。
絵コンテ、どうするかなぁ……。
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