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2013年5月9日木曜日

押井守監督とガルパンと現実と虚構

 最初にことわっておくけど、例のブロマガを読んだ僕の『妄想』ね。

 さてさて。
 押井監督的には「『ガールズ&パンツァー』が受け入れられた理由が解らない」らしい。
 意外だ。
 で、小一時間ほど考えてみた。

 多分、押井監督は現実と虚構の区別が『つきすぎている』のだと思う。
 監督は作り手側なのだから当たり前だろうけど(もちろん、ガルパンスタッフだって現実と虚構の区別がついていない訳ではない)。
 もしガルパンに登場する戦車が虚構の物だった場合、ファンに受け入れられた理由もあっさり理解されたと思う(「ああ、『けいおん!』の戦車版ね」で終わったはずだ)。

 しかし視聴者は違う。
 アニメファンの中にある『現実と虚構の垣根』は、恐ろしいぐらいに低くなっている。
 もはや「アニメの中で走り回っている戦車が実在する物だろうがファンタジー的の物だろうが、どっちでもいい」んだ。
 最終話でポルシェ・ティーガーが黒森峰の前に立ち塞がった時、何人のファンが「ポルシェ・ティーガーの勇姿」に感動したか?
 多分、ほとんどの視聴者は、あそこで立ち塞がった戦車が別の車輌だったとしても、反応に大した違いはなかったと思う。

 作り手側は『現実と虚構』を意識するだろうけど、見る側は、かなりどーでもよくなってる。
 「現実の戦争でもキャラクター性は存在する」と押井監督自ら仰っている訳で、実在する兵器にだってキャラクター性はあるのだし。
 ガルパンはそれと女の子とスポ根をうまく混ぜた。
 これからは、アニメ企画を通す側の人たちの考え方も変わってくると思う。

 以上。
 僕が小一時間で考えられるのはこの程度。

 ああ、ガルパンの企画書、読んでみたいなぁ。

■追記
 押井監督の気持ちがわからない人は「『けいおん!』で放課後ティータイムが、実在するバンドの歌を演奏してもウケただろうか」と考えてみるといい。
 あと、ある程度古いアニメを知っている人は、アニメってのは「虚構の世界で虚構のキャラが虚構のアイテムを使って虚構を演じる物」が大半を占めていたことを思い出そう。

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