「森博嗣さんの『スカイ・クロラ』シリーズは、ライトノベルである」
と、僕の中では定義されている。
僕の中では、ね。
主な理由は二つある。
一つは、ライトノベルは「キャラクタ小説」だからだ。
もちろん、それ以外のライトノベルもたくさんあるけど。
もう一つの理由は、作品世界が「子供のために創られたもの」に思えるから。
この作品は、誤解を怖れずに説明すると、次のようなものだ。
「永遠に大人にならない子供が、戦闘機に乗って命がけで遊んでいる話」
もっと誤解を怖れずに説明するとこんな感じ。
「いかにして大人になることを拒否して遊び続けるか」
これがライトノベルでなくてなんなのか。
主人公の草薙水素は、美しい。
容姿ではなく、生き方が美しい。
いや、美しくはないかもしれないが、考え方が純粋だ。
遊びであり仕事でもある『戦闘』には一家言持っているし、常に上昇志向を持っている。
こんな子供になりたかった。
んで。
困ったことに「『スカイ・クロラ』=ライトノベル説」に同意してくれる人は少ない。
でもこう言う人はいる。
「これは純文学なんじゃない?」
はっはっは。
なにを言っているんだい。
ライトノベルをある方向に極めると純文学になるんだよ!
多分。
キャラクタが作品の中心にあって。
それを丹念に描いていく。
ほら。
どっちも一緒じゃん(いや、ほとんどの小説はそうなんだけどね)。
キャラクタの性格や、抱えている問題、文章の違いだよ。
『スカイ・クロラ』シリーズの登場人物は基本的に成長しない(これは中身の話)。
ライトノベルは、やはり成長する話が多い。
ここは決定的な差かな。
でも、「大人社会のルールを覚える」とか「覚悟を決める」とか「やりたいことを我慢する」って、成長なのかな。
大人社会での「やり方」を覚えただけでは?
だって「大人」の大半はそんなに「優秀」じゃないもの。
子供が「成長」して「大人」になったのなら、みんなもっと「優秀」なはずだよ。
表舞台に出てくる「優秀」な人って、なんか子供っぽいし(某社トップとか某映画監督とか某研究者とか)。
僕は「優秀な子供」になりたかったんだけど。
僕がなれる望みのある(?)登場人物は整備士の笹倉だけ。
しかし彼は天才だからな……。
無理。
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