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2014年11月25日火曜日

『スカイ・クロラ』=ライトノベル説

「森博嗣さんの『スカイ・クロラ』シリーズは、ライトノベルである」
 と、僕の中では定義されている。
 僕の中では、ね。

 主な理由は二つある。
 一つは、ライトノベルは「キャラクタ小説」だからだ。
 もちろん、それ以外のライトノベルもたくさんあるけど。
 もう一つの理由は、作品世界が「子供のために創られたもの」に思えるから。

 この作品は、誤解を怖れずに説明すると、次のようなものだ。
「永遠に大人にならない子供が、戦闘機に乗って命がけで遊んでいる話」
 もっと誤解を怖れずに説明するとこんな感じ。
「いかにして大人になることを拒否して遊び続けるか」
 これがライトノベルでなくてなんなのか。

 主人公の草薙水素は、美しい。
 容姿ではなく、生き方が美しい。
 いや、美しくはないかもしれないが、考え方が純粋だ。
 遊びであり仕事でもある『戦闘』には一家言持っているし、常に上昇志向を持っている。
 こんな子供になりたかった。

 んで。
 困ったことに「『スカイ・クロラ』=ライトノベル説」に同意してくれる人は少ない。
 でもこう言う人はいる。
「これは純文学なんじゃない?」
 はっはっは。
 なにを言っているんだい。
 ライトノベルをある方向に極めると純文学になるんだよ!
 多分。

 キャラクタが作品の中心にあって。
 それを丹念に描いていく。
 ほら。
 どっちも一緒じゃん(いや、ほとんどの小説はそうなんだけどね)。
 キャラクタの性格や、抱えている問題、文章の違いだよ。

『スカイ・クロラ』シリーズの登場人物は基本的に成長しない(これは中身の話)。
 ライトノベルは、やはり成長する話が多い。
 ここは決定的な差かな。
 でも、「大人社会のルールを覚える」とか「覚悟を決める」とか「やりたいことを我慢する」って、成長なのかな。
 大人社会での「やり方」を覚えただけでは?
 だって「大人」の大半はそんなに「優秀」じゃないもの。
 子供が「成長」して「大人」になったのなら、みんなもっと「優秀」なはずだよ。
 表舞台に出てくる「優秀」な人って、なんか子供っぽいし(某社トップとか某映画監督とか某研究者とか)。

 僕は「優秀な子供」になりたかったんだけど。
 僕がなれる望みのある(?)登場人物は整備士の笹倉だけ。
 しかし彼は天才だからな……。
 無理。

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