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2013年7月17日水曜日

天使の救済…『純潔のマリア』/石川雅之

 これは真剣に書かねばなるまい。
 なお、私は連載を読んでいない。コミックスになってから読んでいる。だからまだ結末を知らない。そこんとこよろしく。

 この漫画の舞台は、イングランドとフランスがドンパチやってた百年戦争時代。
 マリアはフランスに住む魔女だが、戦争その物を嫌っており、ぶっ潰したいと思っている。
 そこで夜な夜なサキュバスを放って指揮官を骨抜きにし、大きな戦が起こらないようにしていた。
 しかし、マリア自身はカトリックが崇拝する処女だ。依頼にやってくる通信兵の青年に惚れているが、告白すらできないガキだ。
 だが魔力はバツグンに強く、いつも両軍の戦に乱入して台なしにしている。
 その行為は世界の理(ことわり)を乱す――天界がそう判断し、大天使ミカエルに監視されている。
 ミカエルがすぐにマリアを制裁しない理由は、マリアの周囲にいる人間があまりにも彼女を好いているからだ。
 そこで「マリアが純潔を失った時、魔力を失う」という拘束を受けることになる。

 というのを説明するのが第1巻。
 さて、問題は次の第2巻だ。

 マリアの元にミカエルの使い・エゼキエルが使わされる。監視役だ。
 しかし、マリアはエゼキエルの目を盗んでは力を揮う(どのように目を盗むかは、問題ではない)。
 そしてエゼキエルは知っていく。
 神の元に平等である人間たちが、いかに不平等な生活を送っているか。
 天界が人間を『平等』にするため、どれだけの『不幸』を見殺しにしているか。
 少なくとも、マリアの行為は人間たちを幸せにしている。ごく一部だが。
 エゼキエルたちに取っては、自分の目の前の子どもに、足下に花が咲いているのを教えることすら不平等を生む愚行だ。
 「敬虔ではないとしても、あの者の行いそのものは断罪に値するのか悩ましいのです」
 ついにエゼキエルはそう疑問を持ってしまう。
 そして、次にマリアが力を使った時は、殺すように命令を受けてしまう。
 エゼキエルはどうするか。
 マリアが力を使わないように、彼女に届く依頼の手紙を焼いていくのだ。

 この2巻が、べらぼうに気に入った。
 2巻は、ほぼ完全にエゼキエルが主人公だ。
 さっきもちょっと書いたけど、作者であるの石川雅之さんは、多分「マリアがいかにしてエゼキエルの目を盗むか」などの細かいポイントには全く興味がない。描こうと思えば面白いエピソードを描くこともできるだろうけど、一切しない(氏の実力は『週刊石川雅之』などで実証済みだ)。
 石川さんが描こうとしているのは、マリアと接することでエゼキエルの心がいかに変わっていくかだ。
 第2巻のラスト、マリアが止めようとする大きな戦争の描き込みは、いつにも増して凄まじい。正気の沙汰ではない。氏は基本的にアシスタントを使わないのだが(Ustreamで作画風景を配信している)、とてもそうは思えない。
 ミカエルの命令には逆らえず、戦場の上空で力を揮おうとしたマリアを、エゼキエルは貫いてしまう(彼女は槍なのだ)。
 どうやら致命傷は外したらしいのだが(推測)、エゼキエルの心中は察してあまりある。
 マリアの思考に同調してしまい、しかし天の命令には逆らえず、彼女を殺さねばならないのに、殺し損ねた。
 もはや地上にも天界にも、彼女の味方はいない。

 と書いているところを読めば解るだろうけど、もはや僕はこの物語の主人公がマリアなどとは思っていない。
 完全にエゼキエルに感情移入してしまっている。
 エゼキエルがいかにして救われるか。それを見届けたい。
 この漫画は第3巻で完結するらしい。
 すごく楽しみだ。

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